2010年02月03日

「奇跡のリンゴ」から学ぶ~その2~

木村氏の言葉にこんな言葉がありました
「バカになるって、
やってみればわかると思うけど、
そんなに簡単なことではないんだよ。
(中略)ひとつのものに狂えば、
いつか必ず答えに巡り合うことができる」(23頁)


毎日、ありとあらゆることが目の前に
訪れる現在の生活において
「ひとつのものに狂」うということは、
言うほどたやすいことではないと思います。
でも、それほど真剣に物事に向かう、
死に物狂いで、その事象に立ち向かう
そんな気持ちは必要なのかもしれません。

著者は、木村氏のいう「バカになる」
ということについて次のような文を書いています。

人が生きていくために、経験や知識は欠かせない。
何かをなすためには、
経験や知識を積み重ねる必要がある。
だから、経験や知識のない人を、
世の中ではバカと言う。
けれど人が真に新しい何かに挑むとき、
最大の壁になるのはしばしばその経験や知識なのだ。
 木村はひとつの失敗をするたびに、
一つの常識を捨てた。一〇〇も一〇〇〇もの
失敗を重ねて・・・(中略)・・・
初めて無垢の心でリンゴの木を眺めることが
出来るようになった(113・114頁)


自分が迷った時、どうしても
自分自身の少ない経験と浅薄な知識とに
頼って判断を下してしまいます。

そんな判断によって下された結論が、
真実を言い当てているという確証は
どこにもありません。

答えや考え方を教えてくれる人がいても、
そのことによって導きだされた答えは、
自分自身のものではありません。
(責任をその人に預けてしまいます)

単なる知識や経験の否定という意味でなく、
何よりも、これから何を考え
どう行動するか、どこまで深く真剣に
その問題と向き合うかが、
問われているのではないかと思いました。

真剣に死に物狂いで取り組んだ
何百、何千という経験(失敗・反省)
であるならば、それを重ねることで、
常識(固定観念・偏見)に
とらわれない判断が下せるようになるのではないか
ということです。

私は毎日様々な選択をしなければなりません。
今後は、自分だけでなく、
多くの従業員やその家族の人生を
左右する選択を余儀なくされる瞬間に
数多く出くわすと思われます。

その際に、どんな判断が下せるか。
毎日、真剣に日々を過ごし、その準備としての
経験を積み重ねる必要性を痛感いたしました。

つい、答えを安易に探してしまう自分がいます。
大変危険だと思いました。
あらためて考えさせられました。