東北大震災復興支援①

宮田電工

2011年04月15日 11:33

13日の夜9時、
私影浦は、豊田青年会議所のメンバーとして
東北、宮城県石巻市に向けて出発しました。
直接、豊田青年会議所が集めた支援物資を届け、
豚汁の炊き出しを行うためです。

たまたまその話を聞きつけた、
豊田商工会議所青年部のメンバーである
お菓子処花月の砂原泰輔君が、


「どうしても気持ちを届けたい」
「賞味期限の問題もあり、
倉庫に眠ってしまうかもしれない
お菓子は郵送では送れない、
でもなんとかおいしいお菓子で
少しでも被災者の心に潤いが生まれれば・・・」、
そんな気持ちを私に託してくださいました。

菓子組合の皆様も賛同いただき、
沢山のお菓子を
直接届けることができることとなりました。



そのお菓子屋さんは以下の通りです。
・お菓子処花月様
・福寿園様
・松華堂様
・ふるさと様
・三河屋様
・三好屋様
・アンジュ様
・ソルボンヌ様
(順不同です。)

途中、休憩は2回のみ。
ガタガタになった高速道路に
戸惑いながら、


朝、8時ころ気仙沼に到着しました。
こんな状況です。





飛び込みで気仙沼小学校に行ってみました。
自衛隊も多く常駐していたその小学校では、
お風呂も用意されている避難所でした。



そこで直接各お部屋を回って
お菓子を
お届することができました。
やはり、和菓子や洋菓子というのは
こちらではぜいたく品だそうで、
なかなか手に入らないそうです。
皆さん、
「こんなおいしそうなお菓子は久しぶりだ」
「ぜいたくだ」
「遠くからわざわざ持ってきていただいて本当にうれしい」
子どもたちも、
「わーっ、おいしそう」
と飛びつきました。
驚くほど喜んでくださいました。
「今度はふかひれ食べに来てね。」
「カップラーメンくらいしかお土産あげられないわ。」
そんな冗談で私たちをもてなしてくださいました。
一部屋20人以上も入り、プライバシーも全くない過酷な環境の中で
強く優しく生きていらっしゃる被災者の方々にとって
このお菓子は、本当にうれしい心のこもったプレゼントになりました。

お手紙を入れてくださったお菓子屋さんもあり、
皆さんにお読みいただきました。
お菓子組合の皆さまの思いは
確実に被災者の皆様に届いたように思われます。








ちなみにここにはこの日、
あの大相撲の元貴闘力、
大嶽親方(元)が焼き肉のふるまいをするために
来られていました。

以下、気仙沼から石巻に至る街の風景です。
「筆舌に尽くしがたい」
衝撃的な風景です。







海岸線を南下しました。
見渡す限り、このような光景です。
うそのような本当の日本の姿です。

以下続きます。

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