2010年02月06日

「奇跡のリンゴ」から学ぶ~その5~

以下、木村氏の言葉です。
農薬を使わなくなってわかったことがあるのな。
農薬を使っていると、
リンゴの木が病気や虫と戦う力を
衰えさせてしまうのさ。
楽するからいけないんだと思う。
クルマにばっかり乗ってると、
足腰が弱くなるでしょう。
同じことが起きるわけ。
それでな、リンゴの木だけじゃなくて、
農薬を使っている人間まで病気や虫に弱くなるんだよ。
病気や虫のことがよくわからなくなってしまうの。
農薬さえ撒けばいいから、
病気や虫をちゃんと見る必要がなくなるわけだ
。(156頁)」


何もコメントのしようがありません。
「楽をしてはいけない。」
当たり前すぎて、頭ではわかっていても
なかなかできない。
弱い自分に毎日言い聞かせなければなりません。

「楽をしてはいけない」
「楽をしてはいけない」
「楽をしてはいけない」

  


2010年02月05日

本日の工事

宮田電工の山岸です。
豊田市松平支所へ「プラグインハイ
ブリット車充電装置設置工事
」に
行ってきました。
今日は晴れていましたが、時折
雪がパラつきました。
手がかじかんだときは、腰に
貼ったカイロで温めてボルトを
しっかりはめました。
午前中で、太陽電池の
取り付けは終わりました。
「プラグイン・・・充電装置」の
仕事をしながら今の技術は
すごい、時代はエコだな
と改めて感じました車
  


2010年02月05日

「奇跡のリンゴ」から学ぶ~その4~

『奇跡のリンゴ』の中で、
木村氏は虫について、
次のように語っています。
「害虫だと思っていたのに、
よく見たらかわいい顔してるんだからな。
(中略)益虫の顔(中略)これが、
恐い顔してるの。(中略)
まるで、映画に出てくる怪獣みたいな
顔してるんだよ。
ああそうなんだと、
人間は自分の都合で
害虫だの益虫だの言ってるけど、
葉を食べる毛虫は草食動物だから
平和な顔してる。
その虫を食べる益虫は肉食獣だものな、
獰猛な顔してるのも当たり前だよ。
 こんなに毎日虫取りしてたのに、
虫のことを何も知らなかったわけだ。
。」(153~154頁)


なるほど、言われたことを念頭に、
自然のあり方に沿って考えれば、
虫の顔を見なくても、
木村氏の言っていることには
納得できます。

木村氏ほど虫と格闘し続けた人でさえ
そんな当たり前のことに気づかなかった
ということです。

翻って、
私が毎日接している様々な人や物。
私はそれらのことを
どれほど知っているのでしょうか。
よく知っているつもりのことが
どれほどあるのでしょうか。

自然の摂理からすれば全く見当違いである
ということにも気づかぬまま、
自分の視点こそが最も正しい、
自分の目に見えている世界以外の世界を想像できない、
そんな自惚れた生き方をしているのではないか。

毎日お会いする多くの方々の
顔を、しぐさを、気持ちを
注意深く見ようとしているのか。
先入観や固定的な視点を排除し、
自然で真っ白な心で見ようとしているのか。

自分自身のことがまず全く分かっていない。
ということに気づかされます。

私は日常、
目の前にあっても気づかない
という経験をたびたびします。

まずは自分の日常生活の改善から
始めなければなりません。
  


2010年02月04日

「奇跡のリンゴ」から学ぶ~その3~

筆者が、木村氏の気持ちを代弁し
次のように述べています。

自分にはもう何も出来ることはないと
思っていたのだが、まるで嘘のようだった。
何も出来ないと思っていたのは、
何も見えていなかったからだ。
目に見える部分ばかりに気を取られて、
目に見えないものを見る努力を忘れていた。
(129頁)


人と接するとき、どうしてもその表面に
気を取られてしまうことが多くあります。

物事を見るとき、どうしてもその目に見える数字などの
事象に気を取られてしまうことがあります。

何を見なければならないのか。

商売であれば、
本当のお客様の気持ち。

会社であれば、
従業員の気持ち。

家庭であれば、
妻や子どもの気持ち。

人の「心」は目に見えないものですが、
ついついその人の表面的な態度や表情、

または結果としての数値に目が行ってしまいます。

でも、その裏に隠された真実を見つめる目を
もたなければならない。

でなければ、本当に大切なものに
ずっと気づかないままかもしれない。

そのことによって、
とんでもない結果を招いてしまうかもしれない。

そんな怖れを持って、
慎重に物事の判断をしなければならない。

そんな「努力」を惜しまないように
しなければならないと痛感させられました。



  


2010年02月03日

「奇跡のリンゴ」から学ぶ~その2~

木村氏の言葉にこんな言葉がありました
「バカになるって、
やってみればわかると思うけど、
そんなに簡単なことではないんだよ。
(中略)ひとつのものに狂えば、
いつか必ず答えに巡り合うことができる」(23頁)


毎日、ありとあらゆることが目の前に
訪れる現在の生活において
「ひとつのものに狂」うということは、
言うほどたやすいことではないと思います。
でも、それほど真剣に物事に向かう、
死に物狂いで、その事象に立ち向かう
そんな気持ちは必要なのかもしれません。

著者は、木村氏のいう「バカになる」
ということについて次のような文を書いています。

人が生きていくために、経験や知識は欠かせない。
何かをなすためには、
経験や知識を積み重ねる必要がある。
だから、経験や知識のない人を、
世の中ではバカと言う。
けれど人が真に新しい何かに挑むとき、
最大の壁になるのはしばしばその経験や知識なのだ。
 木村はひとつの失敗をするたびに、
一つの常識を捨てた。一〇〇も一〇〇〇もの
失敗を重ねて・・・(中略)・・・
初めて無垢の心でリンゴの木を眺めることが
出来るようになった(113・114頁)


自分が迷った時、どうしても
自分自身の少ない経験と浅薄な知識とに
頼って判断を下してしまいます。

そんな判断によって下された結論が、
真実を言い当てているという確証は
どこにもありません。

答えや考え方を教えてくれる人がいても、
そのことによって導きだされた答えは、
自分自身のものではありません。
(責任をその人に預けてしまいます)

単なる知識や経験の否定という意味でなく、
何よりも、これから何を考え
どう行動するか、どこまで深く真剣に
その問題と向き合うかが、
問われているのではないかと思いました。

真剣に死に物狂いで取り組んだ
何百、何千という経験(失敗・反省)
であるならば、それを重ねることで、
常識(固定観念・偏見)に
とらわれない判断が下せるようになるのではないか
ということです。

私は毎日様々な選択をしなければなりません。
今後は、自分だけでなく、
多くの従業員やその家族の人生を
左右する選択を余儀なくされる瞬間に
数多く出くわすと思われます。

その際に、どんな判断が下せるか。
毎日、真剣に日々を過ごし、その準備としての
経験を積み重ねる必要性を痛感いたしました。

つい、答えを安易に探してしまう自分がいます。
大変危険だと思いました。
あらためて考えさせられました。  


2010年02月02日

「奇跡のリンゴ」から学ぶ~その1~



『奇跡のリンゴ』という本を読みました。
 あまりにも壮絶な木村氏の人生に
大変多く学びを得ました。
そのうちの数点について、
その感動について
自分なりにまとめてみたいと思います。

第一回は、本書の冒頭に引用されている詩の
紹介です。
木村氏本人の弁ではありませんが、
大変素晴らしい詩ですので、
引用させていただきます。

危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と果敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見出せますように。

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、
失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。


(ラビンドラナート・タゴール『果実採集』より石川拓治訳)

どれほど自分が弱虫なのか。
どれほど自分が自分に甘いのか。
どれほど自分が他人に依存しているのか。
どれほど自分が守りに入っているのか。
そして、どれほど自分が卑怯者なのか。


自らの手で、自らの人生を切り開いていく。
一切の甘えを捨て、
毎日、全力で自己の弱い部分と
向き合い、戦うことができるか。
そんな気概こそが、
今の私に必要な心構えなのだと、
教わったような気がします。

声に出して読むと、
一文一文が身に沁みます。